と書き進めてきました。
鳥居をくぐったあとの今回は、手水をする、です。
手水舎−水がためられていて柄杓が備えられているところ、ありますね。そちらで、手と口を清めます。
手と口を清めるのは、本来は川や海で行なっていた禊ぎ祓いの略式です。
手と口を清めることを象徴として自分の全身を清めるんだ、という意識で行なうとよいです^^
手順は、
左手 → 右手 → 口 → 左手、の順に、清め、
残った水を、柄杓の柄にそって流します。
(柄杓を立てるとそのようになります。)
これらを柄杓一杯の水で行ないます。
何回も汲むのは作法としては違っています〜、ご注意ください。(そのつもりですれば一杯で済ませられます、お試しあれ♪)
柄杓の柄にそって水を流すのは、次の人のために自分が持っていたところを清める意味です。
こちらもその意識で行なうといいです。
口を清めるときは、柄杓からの水を受けた左手から口に含みます。
柄杓に口をつけるのは違いますよ〜、自分が後の人だったら嫌ですよね^o^;
水が清潔に思えず口に含むのに抵抗がある場合は、実際には口に含まずイメージだけでかまいません。
口から水を出すときは、左手で口元を隠すように覆うと所作が美しいです。
なお、神社によっては、手水舎に水がない場合もあります。
その場合は手水はとばしてかまいません。
たまに、自分に縁がある神社に手水舎がない、手水舎の水が流れていない、などを気に病む方もいらっしゃいます。
縁のある神社が整っていると嬉しく感じるものですが、
そうでない場合にあまり気にしすぎないことも大切です。
「あ〜、もっと整っていればいいけど、現代社会って神社を後回しにする傾向があるからなぁ…」と寂しく思うことは私もあります。
そうした気持ちは、ある意味自然ですし、悪くはないのですが、
気にしすぎきるあまり神社へのジャッジや不平不満になってくると話しが違ってきます。
手水舎が整っているにこしたことはないですが、手水舎がなかったり水が流れていなかったりといった神社でも、神さまが働らかれている神社はたくさんあります。
形だけにとらわれてそうした本質を見失わないようにしたいものです。
(もちろん、ジャッジなどを手放したニュートラルな心であれば、手水舎が整うことを祈ったり、寄付したりされるのはいいことです^^)
⇒ 次は「鈴を鳴らす」です^^
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